上手く行く時、停滞している時、下降している時、人生には誰しもさまざまな時がある。望んだ結果が出せている時とそうでない時は何が違うのか?私自身の経験から見ていこうと思う。
これから書くことは、私の自慢話ではない。私の今までの生き方や体験が誰かの役に立ち、かつ何よりも私自身への今後の戒めにするためだ。
何が違うのか?
やるかやらないかの違いだけだ。
上手く行く時、停滞している時、下降している時、人生には誰しもさまざまな時がある。望んだ結果が出せている時とそうでない時は何が違うのか?私自身の経験から見ていこうと思う。
今回は「やらなかった」話をしよう。
私は大学生の頃クラシックギター部に所属していた。こともあろうに部長まで務めてしまった。こともあろうにといったのは、私はギターの練習をあまりやらなかったからだ。
ギター部ならギターの練習をするのが一番大事なことであるのは言うまでもない。しかし、私はあまり練習をやらなかった。社会人になってからの、今の私の性質を知っている人からは「練習をやらなくても簡単に弾けたからでしょ」なんて言葉が返ってきそうだが、今回ばかりはそうではない。
私はギターの初心者だったし、それまでの人生では、学校の科目であった音楽以外で、楽器や音楽を習ったこともなかった。にもかかわらず、練習をやらなかった。だから当然、たいして上達もしなかった。
何故やらなかったのか?
あの頃の自分を振り返ってみると・・・
1.家が遠くて通学に時間を要した。
2.部活動以外に遊びたくてしょうがなかった。
3.難聴もあってアンサンブルが性に合わなかった。
4.初心者と経験者の差がスタート時点で大きかった。
5.本当はもっと派手な音楽をやりたかった。
やらなかった理由が、今こうして振り返っただけでもこんなに簡単に思い出されるのは、自分でも呆れてしまう。あの頃、がむしゃらに練習しておけばよかったと後悔している。
しかし、私は部長まで務めてしまった。何故か?
今でもたまに一緒に飲む、良い友人たちと出会ったからだ。それだけだ。部長は苦労職だった。ギターで貢献できていない分、他の役職で皆んなの役に立ちたいといった小さな気持ちだけが、卒業までギター部を辞めずに続けられたモチベーションであったと思う。
あれから30年。
あの頃、ギターと出会って、音楽と出会って本当に良かったと思う自分がいる。ギターと出会っていなかったら、音楽家である家内とも出会わなかったろうし、コンサート撮影の仕事もしていなかったろう。
そして、今こうしてギターを弾くこともなかったろう。私のギターの練習はこれからが本番だ。大学生の頃の忘れものを、これから取り戻しに行こうと思う。
何が違うのか?
やるかやらないかの違いだけだ。
やるべきことをやったかやらなかったかの違いだけだ。「やれば結果が出る」という、とてもシンプルなことだ。そしてそれは全ての人に共通の原理原則であるということだ。
大学生の頃、私はギターの練習をあまりやらなかった。だから、たいして上達もしなかった。カッコ良くなかった。自信も持てなかった。とてもシンプルな原理原則だ。
しかし、やるべきことをやらなかった場合でも、それはそれで「違う物語」が展開することも事実だ。そして、やらなかった場合の物語もけして悪い物語になる訳ではない。人生は面白い。
今の私は、何事にも全力で取り組んで成果を上げないと気が済まない性質だ。あの頃の私が、今の私のようにがむしゃらにギターも練習していたら、私の人生はどう違っていたのだろうか、、、
ギター以外にも、防災研究、スピーチ、ファスティングなどの実際の経験談を書いて行こう思う。何度も言うが、これは私の自慢話ではない。どちらかというと今後の自分への戒めだ。その理由も最後に書こうと思う。
今回はここまで。
私が所属していたギター部を紹介しておこう。
明治大学スペインギターアンサンブル(今は名称が変わって「明治大学ギターアンサンブルAMITY」)。ご興味のある方は、演奏会へいらして下さい。
私の経験が誰かのお役に立てたら幸いです。