上手く行く時は何が違うのか?

これから書くことは、私の自慢話ではない。
私自身の今後の戒めにするためだ。

 

何が違うのか?

 

やるかやらないかの違いだけだ。

 

上手く行く時、停滞している時、下降している時、人生には誰しもさまざまな時がある。望んだ結果が出せている時とそうでない時は何が違うのか?私自身の経験から見ていこうと思う。

 

まず最初に写真専門学校の頃のことを書こう。

 

私は写真専門学校で学んでいた頃、生計を立てるための仕事をしている時間と寝ている時間、そして写真を撮影している時間以外はほぼ毎日のように暗室に入っていた。生計を立てると言ったのは、私は大学を出て社会人になってから写真専門学校に通っていたからだ。

 

暗室に入るとはどういう意味かというと、当時は白黒フィルムを自分で現像して、自分で現像したフィルムから自分で印画紙へプリントする。写真家というのは撮るだけではなくて、この全ての過程がきちんとできないと一人前とは言えず、人に感動を与える写真など作れるはずもないからだ。それは、デジタルになった今も同じで、暗室がパソコンに代っただけだ。

 

撮ったフィルムの本数だけ撮影は上達するし、暗室に入った時間だけプリントも上達する。当り前のことだ。誰が考えても明白な原理原則だ。ここで、才能やセンスの話しを持ち出す人がいるが、それは違う。少なくとも私自身のことや私の周りの人たちのことを見てきた限りそれは違う。勿論、それまでの人生経験の違いから、構図の取り方や色使いのセンスは違う。しかし、どの作者のセンスが良いかは観る側の人が決めることだ。

 

私はとにかく沢山撮影した。外に撮影に出ると36枚撮りフィルム5~6本くらいはすぐに撮影してしまうのは当たり前で、それを夕方には現像し翌日は暗室に入って何十枚とプリントする。一度暗室に入ると、軽食をとる以外は10時間くらいぶっ通しでプリントすることも多かった。やればやるほど腕が上がって楽しかったからだ。写真のプリントというのは本当に1秒以下の世界で、0.5秒露光が違うだけで違う印象の写真になってしまうのだ。

 

写真専門学校に通い出して間もない頃からそんなことを続けていたら、1年後の全国規模のプロ・アマ含めた写真展では「新人賞」まで頂いた。そして、その後も全国規模の写真展で落選の経験はなかったし、写真専門学校の校内コンテストも毎回「入賞」だった。

写真展入賞メダル

 

何が違うのか?

 

やるかやらないかの違いだけだ。

 

高い学費を払って写真専門学校へ通っても、撮影もほとんどしなくて暗室にも入らない受講生もいる。どう過ごそうが各自の自由だ。やらないのが悪いとは一概には思わない。事情があって時間が取れない人もいるだろうし、なかなか気分が向かない人もいるだろう。

 

確実に言えることは「やれば結果が出る」という、とてもシンプルなことだ。もう一言加えれば「徹底的にやれば結果が出る」ということだ。そしてそれは全ての人に平等かつ共通の原理原則であるということだ。才能やセンスは全く関係ないとは言わない。しかしそれは一番大事なことではない。徹底的にやってみなければ才能があるかどうかさえ分からないからだ。

 

写真以外にも、防災研究、スピーチ、ファスティングなどの実際の経験談を書こうと思う。何度も言うが、これは私の自慢話ではない。今後の自分自身への戒めだ。その理由も最後に書こうと思う。

 

今回はこの辺で。

 

私が通った写真専門学校を紹介しておこう。
現代写真研究所」多くの素晴らしい写真家を輩出している。

 

私の経験が誰かのお役に立てたら幸いです。

この記事を書いた人

たかまさ

たかまさ

1.全国各地の地理調査と現地写真
2.出張先で見つけた美味しい食べ物や隠れた名店
3.経営者から見た会社経営のいい話しや裏話
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