私がサラリーマンだった頃

私がサラリーマンだった頃 

1.毎晩飲みに行っていました。

2.前例のない3週間連続休暇を取りました。

3.土日もサービス残業をしていました。

私は経営者になって、おかげさまで30年近くになりますが、勿論、最初から経営者であるはずもなく、サラリーマン時代がありました。どんなサラリーマンであったのか、どうして独立起業したのかを振り返ってみました。

1.毎晩飲みに行っていました。

仕事が終わるとほぼ毎晩、行きつけの店へ飲みに行っていました。仕事が終わるといっても、夜9時とか10時が多く、そしてこの時間から「よし、今日も盛り上がるぞ!」ってな感じで飲みにくり出すのです。当時は行きつけの店が何軒もあって、全ての店にボトルをキープしていました。また、出張で全国各地へ行っていましたから、出張先にも行きつけの店があって、自分のボトルがあるのです。多い時には10軒くらいにボトルキープがありました。そして常連と合流して楽しい時間を過ごすのです。合流した中に私より若年者がいると、勘定は全て私が払っていました。「宵越しの金は持たねえ!」なんて感じで、当時は給料を使い切らない月はありませんでした。

盛り上がりすぎて終電がなくなると、真冬でも地下道の片隅で始発まで寝ていました。よく体を壊さなかったと、当時の自分の丈夫さにに感心します。今そんなことをしたら、体を壊さないどころか襲われて殺されてしまうかもしれませんね。そして、常時鞄に入れてある電気シェーバーで髭を剃ってそのまま出勤するのです。「酒くさい!」なんてよく言われました。今から思えば迷惑な存在であったと思います。不良サラリーマンです。でも私にとっては、金に不自由だった大学生の頃より社会人になってからの方がよっぽど楽しく、毎夜が宴会のような日々でした。勿論、貯金はゼロ。社会人2年目頃からは仕事を担当させてもらえるようになりましたが、相変わらずよく飲みに行っていました。しかし、担当仕事は完璧に仕上げていましたし、納品日を破ったことも一度もありませんでした。当時の上司は飲み会などが嫌いな人でしたので、さぞ目障りな部下だったと思います。

・・・でも、こんな私でも有り難いことに、指名で仕事をご依頼してくれるクライアントも結構いたのです。その理由は後述するとして、それどころか、毎晩飲み歩いていた不良サラリーマンが、前例のない長期休暇まで取ってしまった話を先にしたいと思います。

2.前例のない3週間連続休暇を取りました。

私が20代の頃、当時の社会人は3週間連続で休むなんて考えられない社会でした。3週間どころか平日に3日連続で休むことさえ聞いたことがありませんでした。だから、休暇を申請するだけでもとても「勇気」が要りました。そんな中、私は入社3年目に2週間連続で休暇を申請してバリ島へ一人旅に行って来ました。バリ島というと今ではリゾートというイメージですが、私が旅した頃は大そうな田舎の島で、山奥へ入ると電気もないランプの生活でした。熱帯で夜も暑く、窓もない部屋で寝ているとホタルが沢山飛んでくるのです。そして寝ている枕元で光るのです。漆黒の中、空を見上げると黒い部分よりも星が光っている部分の面積の方が多いんじゃないかと思うほどの数の星空でした。流れ星も次から次へと飛んで、流れ星がパーンと線香花火のようにはじける瞬間まで見えるのです。楽しかったなあ。願い事を沢山しておくべきでした。

その数年後、今度は3週間の休暇を申請してロシアへ行って来ました。当時はロシアではなくてソビエトという国でした。私が行きたかったのは、ソビエトの最南端付近の砂漠でした。シルクロードです。オアシス都市サマルカンド。かつてのチムール帝国の首都で遺跡が沢山あります。当時は遺跡の管理も無防備であったものが多く、インディジョーンズにでもなったつもりで一人で調査をしていました。カメラバックをかついで泥まみれの服で旅をしていたある時、写真を撮っていると赤い手帳を見せられて、腕をグイッと掴まれて連行されそうになりました。秘密警官だったのかもしれません。あの時言われるままに連れていかれていたら、私は今存在していなかったのかもしれません。勿論、掴まれた手を振り払って全力で走って逃げました。

(写真:サマルカンドの裏路地で休憩中の筆者)

今こうして振り返ると、バリ島もシルクロードも楽しい思い出ばかりですが、当時の私にはリゾートや観光の目的は全くなく、言葉も通じない電気もない辺境地で自分がどこまで対応出来るかを試すための人生の修行が旅の目的でした。そしてもう一言つの目的は、地理学の一人巡検でした。

休暇から戻ると「3週間も休む社会人はいない!」とか「仕事が溜まっている!」とか、本当は何ら問題も起っていないのに皮肉の一言も言われました。でも、この時代に前例のない3週間の休暇を実現させた当時の自分を褒めてやりたい。その後、海外の辺境地で撮った写真で何回か「写真展」を開催したのがきっかけとなり、防災調査の仕事の他にフォトグラファーとして撮影依頼の仕事も頂くようにもなりました。

3.土日もサービス残業をしていました。

こんな風に書くと今では「ブラック企業」と言われてしまいそうです。しかし、これは会社からの指示命令ではなく、好きで仕事をしていたのです。誰もいない土日のオフィスによく一人で出勤していました。土日は電話が掛かってくることもなく、回りから話し掛けられることもないから、仕事に専念できるのです。今だから言えることですが、私はこれらの残業代を申請していませんでした。なぜなら、土日に好きで出勤して残業代を申請すれば、「出勤するな」と言われるか、「そんなに頑張らなくていい」と言われることは目に見えているからからです。

そう、私は若い頃から、担当した仕事を徹底的に完璧なまでに仕上げるのが好きだったのです。だから土日にもよく仕事をしていました。仕事をしたくて仕方がなかったのです。そして、周りの人と同じ成果では嫌だったので、個性的で私にしか作れない成果品を作っていました。それが図面であり、写真であり、報告書でもありました。なので、専門家や技術者というよりアーティストの感覚でした。また、会社全体の仕事が暇な時は、土日を利用して一人巡検(現地調査)にもよく行きました。過去の大災害の跡地、今から300年前の江戸時代の山崩れ跡地などを自分の目と足で確かめに行く。勿論、旅費も全て自費で会社へ申請などしません。好きで行っているのだから当たり前です。

このように、システム化出来ない仕事の仕方や、私がいなくなったら他の人では作れない成果品作り、こういう仕事の仕方も、会社や上司としては厄介な存在であったと思います。「他の人でも引き継げる成果品を作るようにしてくれ!」とか、「(私が)いなくなったら誰も出来ないじゃないか!」などとよく言われました。しかし、そんな仕事の仕方を続けていると、指名で仕事のご依頼をしてくれるクライアントも少しずつ増えて行ったのです。

(写真:新入社員の頃、地すべり現場で亀裂にスケールを当てる筆者)

余談になりますが、私がこのような仕事の仕方をしていた当時、私の周りには仕事が嫌でしょうがない人や、「仕事とは、お金を得るために自分の時間を切り売りする時間」とハッキリと口に出して言う人もいました。もったいないなと思いました。大切な自分の人生の時間、命の時間を切り売りしているなんて。しかし、そう言っても理解してもらえませんでした。それどころか、私のことを「普通じゃない感覚の人。理解できない!」とまで言う人もいました。

仕事は楽しいものです。自分で楽しくするものです。決して誰かが楽しくしてくれるものではありません。「自分で楽しくしていくもの!」です。私のような調査研究の仕事も、コンビニの店員さんも、ヨガのインストラクターも、どんな仕事においてもそれは共通普遍の原理原則です。よく行くセブンイレブンの店員さんで「おはようございます!」とすごく元気な笑顔で迎えてくれる店員さんがいます。彼女と会うと「君がいると気持ち良いね!」と、いつも褒めてあげます。きっと彼女は仕事を楽しんでいるのだと思います。また、深夜や早朝の比較的空いている時間帯のスポーツクラブで行列の出来るインストラクターもいます。

仕事をするのが楽しい。もっともっと仕事の時間を増やしたい。会社や上司に気兼ねすることなく存分に仕事がしたい。そんな想いから私は独立起業して経営者になりました。

私がサラリーマンだった頃のことを思い出して書いてみました。懐かしいなあ。その後、独立起業して全てが順風満帆であったはずもなく、楽しいことばかりではなく苦しいことも沢山ありました。でも、確実に言えることは、そういう全ての経験が人生を豊かなものにしてくれたということです。

今の仕事に悩んでいる人や独立起業を考えている人のお役に立てたら幸いです。

この記事を書いた人

たかまさ

たかまさ

1.全国各地の地理調査と現地写真
2.出張先で見つけた美味しい食べ物や隠れた名店
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