私がサラリーマンだった頃

私がサラリーマンだった頃 

1.毎晩のように飲みに行っていました。

2.前例のない3週間連続休暇を取りました。

3.土日もサービス残業をしていました。

私は経営者になって、おかげさまで20年以上が経ちますが、勿論、最初から経営者であるはずもなく、サラリーマン時代がありました。どんなサラリーマンであったのか、どうして独立起業したのかを振り返って書いてみました。

1.毎晩のように飲みに行っていました。

仕事が終わるとほぼ毎晩、行きつけの店へ飲みに行っていました。仕事が終わるといっても夜9時とか10時とかが多かったです。そしてこの時間から「よし、今日も盛り上がるぞ!」ってな感じで飲むのです。当時は行きつけの店が何軒もあって、全ての店にボトルをキープしていました。また、出張で全国各地へも行っていましたから、出張先にも行きつけの店があって自分のボトルがあるのです。多い時には10軒くらいにボトルキープがありました。そして常連客と合流して楽しい時間を過ごすのです。合流した中に私より若年者がいると、勘定は全て私が払っていました。「宵越しの金は持たねえ!」なんて感じで、当時は給料を使い切らない月はなかったです。

盛り上がりすぎて終電がなくなると、真冬でも地下道の片隅で始発まで寝ていました。よく体を壊さなかったと当時の自分に感心します。今そんなことをしたら体を壊さないどころか襲われて殺されてしまうかもしれませんよね。そして、いつも鞄に入れてある電気シェーバーで髭を剃ってそのまま出勤するのです。「酒くさい!」なんてよく言われました。今から思えば迷惑な存在であったと思います。不良サラリーマンです。でも私にとっては、金に不自由だった大学生の頃より社会人になってからの方がよっぽど楽しい日々でした。毎日がコンパのようでした。勿論、貯金はゼロ。社会人2年目頃からは仕事を担当させてもらうようになりましたが、相変わらずよく飲みに行っていました。しかし、担当仕事は完璧に仕上げていましたし、納品日を破ったことも一度もありませんでした。当時の上司は飲み会などが嫌いな人でしたので、さぞ迷惑な部下だったと思います。ご迷惑をお掛けしたこと、今振り返ると申し訳なさでいっぱいです。

・・・でも、こんな私でも有り難いことに、ご指名で仕事を依頼してくれるクライアントも結構いたのです。何故でしょうか。後で書きますね。

2.前例のない3週間連続休暇を取りました。

私が20代の頃、当時の社会人は3週間連続で休むなんて考えられない社会でした。3週間どころか平日に3日連続で休むことさえ聞いたことがありませんでした。だから、休暇を申請するだけでもとても「勇気」が要りました。そんな中、私は入社3年目に2週間連続で休暇を申請してバリ島へ一人旅に行って来ました。バリ島というと今ではリゾートというイメージですが、私が旅した頃は大そうな田舎の島で、山奥へ入ると電気もないランプの生活でした。熱帯で夜も暑く、窓もない部屋で寝ているとホタルが沢山飛んでくるのです。そして寝ている枕元に止って光るのです。漆黒の中、空を見上げると黒い部分よりも星が光っている部分の面積の方が多いんじゃないかと思うほどの数の星空でした。流れ星も次から次へと飛んで、流れ星がパーンと線香花火のようにはじける瞬間まで見えるのです。楽しかったなあ。

その数年後、今度は3週間の休暇を取らせてもらいロシアへ行って来ました。当時はロシアではなくてソビエトという国でした。私が行きたかったのは、ソビエトの最南端付近の砂漠でした。シルクロードです。オアシス都市サマルカンド。かつてのチムール帝国の首都で遺跡が沢山あります。当時は遺跡の管理も無防備であったものが多く、インディジョーンズにでもなったつもりで一人で調査をしていました。カメラバックをかついで泥まみれの服で旅をしていました。あるとき写真を撮っていると、赤い手帳を見せられて、腕をグイッと掴まれてどこかへ連れて行かれそうになりました。秘密警官だったのかもしれません。あの時言われるままに連れていかれていたら、私は今存在していなかったのかもしれません。勿論、掴まれた手を振り払って全速で逃げました。

振り返ると、バリ島もシルクロードも楽しい思い出ばかりですが、当時の私にはリゾートや観光の目的は全くなくて、言葉も通じない電気もない辺境地で自分がどこまで対応出来るかを試すための人生の修行が旅の目的でした。もう一言つけ加えるとすれば、一人巡検の地理調査でした。

休暇から戻ると「3週間も休む社会人はいない」とか「仕事が溜まっている」とか、本当は何ら問題も起っていないのに皮肉の一言も言われました。でも、こんな時代に前例のない3週間の休暇を取らせてくれた上司には今でも感謝しています。だって、海外の辺境地で撮った写真で「写真展」を開催したことで、防災調査の仕事の他にフォトグラファーとしての撮影依頼の仕事も頂くようになったのですから。

3.土日もサービス残業をしていました。

こんな風に書くと今では「ブラック企業」と言われてしまいますね。しかし、これは会社からの命令や強制ではなかったのです。私が好きで仕事をしていただけです。誰もいない土日のオフィスによく一人で出勤していました。今だから言えることですが、私はこれらの残業代を申請していませんでした。なぜなら、土日に好きで出勤して残業代を申請すれば、「出勤するな」と言われるか、「そんなに頑張らなくていい」と言われるからです。

そう、私は若い頃から、担当した仕事を徹底的にするのが好きだったのです。だから土日にもよく仕事をしていました。仕事をしたくて仕方がなかったのです。そして、周りの人と同じ成果では嫌だったので、個性的で私にしか作れない成果品を作っていました。それが図面であり、報告書であり。なので、技術者というよりアーティストの感覚でした。また、内業が暇な時は土日を利用して一人巡検(現地調査)にもよく行きました。過去の大災害の跡地、今から300年前の江戸時代の山崩れ跡地などを自分の目と足で確かめに行く。勿論、旅費も全て自費で会社へ申請などしません。好きで行っているのだから当たり前です。

このように、システム化出来ない仕事の仕方や、私がいなくなったら他の人では作れない成果品作り、こういう仕事の仕方も、会社や上司としては嫌な存在だったと思います。しかし、そんな仕事の仕方を続けていると、ご指名で仕事の依頼をしてくれるクライアントも少しずつ増えて行ったのです。

余談になりますが、私がこのような仕事の仕方をしていた当時、私の周りには仕事が嫌でしょうがない人や「お金を得るために自分の時間を切り売りしている」とハッキリと口に出して言う人もいました。もったいないなと思いました。大切な自分の人生の時間、命の時間を切り売りしているなんて。しかし、そう言っても理解してもらえませんでした。それどころか、私のことを「普通じゃない感覚の人」とまで言う人もいました。

仕事は楽しいものです。楽しくするものです。そして誰かが楽しくしてくれるものではありません。「自分で楽しくしていくもの」です。私のような調査研究の仕事も、コンビニの店員さんも、ヨガのインストラクターも、どんな仕事においてもそれは共通普遍の原理原則です。よく行くセブンイレブンの店員さんで「おはようございます!」とすごく元気な笑顔で迎えてくれる店員さんがいます。きっと彼女は仕事が楽しくて仕方がないのだと思います。空いている時間帯のスポーツクラブで行列の出来るインストラクターもいます。

仕事をするのが楽しい。もっともっと仕事の時間を増やしたい。会社や上司に気兼ねすることなく存分に仕事がしたい。そんな想いから私は独立起業して経営者になりました。

私がサラリーマンの頃の話しを少しだけ書いてみました。その後、独立起業して良かったことや苦しんだことなども、シリーズで書いていこうと思います。楽しいことばかりではなく苦しいことも沢山ありました。でも、確実に言えることは、そういう全ての経験が人生を豊かなものにしてくれたということです。

この記事が誰かのお役に立てたら幸いです。

この記事を書いた人

たかまさ

たかまさ

1.全国各地の地理調査と現地写真
2.出張先で見つけた美味しい食べ物や隠れた名店
3.経営者から見た会社経営のいい話しや裏話
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