「中国へ個人旅行で入れるらしい」
そんな話が耳に入ってきたのは、私が大学を卒業する春の頃であった。就職氷河期といわれる中、ある企業から内定まで頂いていたのであるが、このまま就職するにはどことなく抵抗感が私の中にはあった。
せっかく採用してくれた企業へお詫びのご挨拶をして、私はアルバイトを始めた。とにかく一日でも早く旅の資金を調達したいという思いから、昼間は工事現場で力仕事をして、少しの仮眠をとった後、夜はパン工場の夜勤をやった。今から思えばすごい体力である。
そうしてどうにか貯めた15万円を持って、少し秋空が見え始めた9月の半ば、私はリック一つを背負って日本を旅出った。
成田空港を離陸した飛行機は、台風接近の影響で大きく揺れていた。そして、着陸態勢に入り始めた時、急降下が起こり機内では一斉に大きな叫び声が上がった。「これで終わりか」と私も本気で思った。ちょうどこの年の夏、日航123便の墜落があったから尚更である。
数百メートルくらいは一気に急降下した衝撃であった。
あれは、パイロットの意図した操縦であったのか、乱気流であったのか、ざわついた機内では英語のアナウンスまでは聞き取れなかったが、気がつくと飛行機は雲の下に出て、香港のきらびやかなネオンをかすめるように飛んでいた。それがまたあまりの接近感で、今度はそのネオンにぶつかるのではないかと真剣に不安に思った。そうこうしているうちに、飛行機は無事に香港の啓徳空港へ着陸した。機内は拍手喝采であった。
ここから、私の海外一人旅は始まったのである。
(つづく)