群馬県山田郡大間々町(現在は、みどり市)の郷土誌である。大間々町は、赤城山の東麓、渡瀬川が関東平野に流れ出るあたりに位置する。
「間々」の語源は「土の崩れる崖」の意味だそうだ。さらに語源を遡ると、間々とは「断ち切る」という意味だそうだ。大間々台という土地は、大きく切れ込んだ地形(急斜面)の上の台地(展望台のようなところ)だそうだ。
地域の神社から山奥に点在する祠や石碑に至るまで、戦国時代にまで遡りエピソードをまとめてくれていて感心するばかりだ。
さて、私の目的とする自然災害については、昭和22年9月15〜16日のカスリン台風に関することである。この時、大間々町字塩沢の谷で大きな山崩れがあった。4戸が倒壊し、7人が亡くなった。ここは、虚空蔵菩薩を安置していた山で、地元の人がその仏像を背負って移動した途端に山が崩れたそうである。また、道了様(道了権現)の道了堂と滝の湯が渡瀬川へ流された。カスリン台風の時以外にも何度も崖崩れ等の被害が繰り返された場所であるらしい。
大間々の高津峡は、趣のあるところのようだ。一度訪ねてみたい。著者が川で泳いだ子供の頃は、鉱毒が流下していたらしい。そんなこと知るはずもなく、地元の子供達にとっては最高の川であったのだ。川で泳いだ子供たちの手足には独特の匂いのする白いカス(鉱毒)が残ったらしい。また、その川で釣った魚を食べていたのだ。でもその後も元気で長生きした。人間の体というものは、かなり頑丈にできているのではないか。
神梅鉱泉にも行ってみたくなった。本を読みながらネットで調べてみたら、現在の建物も大正期のままのようだ。神経痛に良く効く鉱泉であるらしい。
大間々と近江商人の関係があるとは、知らなかった。京都の古着を奥州(東北)へ行商する中継地点であったという。彼らは、京都産の古着で一儲けし、帰りには奥州で仕入れた特産物を持ち帰り更に一儲けした。なんて逞しいのだろう。
大間々尋常高騰小学校の旅行で江ノ島を背景に写した記念写真が掲載されている。大正15年10月とある。大正15年の江ノ島が鮮明に写っている。私の興味は、失礼ながら背景の江ノ島である。大正15年といえば、関東大震災から3年後である。江ノ島がどのような状況だったのか、山崩れ跡などはないのかといった証拠資料になるからである。このように、全国各地の郷土誌を読んでいると思いがけない情報と出会うことがある。
その他にも、屋号のこと、祭りのこと、神社寺院のこと、石碑のこと、古道のこと、用水のこと、ありとあらゆる郷土のことがぎっしりと詰まった、そして、大変郷土愛のこもった郷土誌であった。
萩原康次郎(1992):「間々はゆりかご」,301p.
萩原康次郎(1992):「続間々はゆりかご」,337p.