寛保二年(1742)の大洪水
寛保二年(1742)の大洪水は、中部から関東全域において江戸時代最大の被害をもたらした。原因は、八月一日(新暦8月30日)から二日にかけての暴風雨で、利根川や荒川などの各河川の増水ははなはだしかった。各河川には流木が多数流れ、長野県の小諸や埼玉県の秩父山地などの降水量は非常に大きかったと考えられる。
現在の長瀞町には当時の人が、ここまで水が来たということを後世に知らせるために残した石碑「寛保洪水摩崖標」が現存する。この石碑に刻まれた水位は現在の河床から24mにもなる。現在の人家の一階は完全に水没する水位である。
災害当時の人が、二度と悲しい思いをしないために残してくれた災害教訓を、我々は常に意識しなければならない。