「人はなぜ働く(仕事をする)の?」
と、子供はたまた就職前の学生から質問されたら。
人は、その人の好きで得意なことをやり続けて人生を謳歌するために「自分が好きで得意なこと」を提供して、社会の皆さまの役に立つために生きています。そのことを「社会人として仕事をして働いている」と言います。働くとは、辛いことをするのではなく、嫌なことをするのでもなく、好きで得意で楽しいことをすることです。それを仕事をするといいます。それを働くといいます。要するに物々交換のようなものです。料理が得意な人が、美味しい料理を作って、回りの人がその料理にあやかる。そのお礼として、現代社会のシステムでは、お金を払う。元来、お礼はお金じゃなくても良いのです。料理の素材をたっぷり提供するとか、楽器演奏が得意な人なら、皆さまが美味しい料理を頂く場で美しい演奏を提供するとか。
「自分が好きで得意なこと」は、全ての人に平等に与えられていると思います。ここで、人によっては悩みどころとなるのは、自分の好きで得意なことに気づくことが出来るかどうかということです。
残念なことに、多くの人が本当は嫌いだけど給料が高いからなどの理由で働く場(仕事)を選択してしまっています。短期間にお金を調達したいという目的があるなら、その選択は大変有効です。私も若い頃、海外辺境地の一人旅をする資金を調達するために、3ヶ月ほど、昼間は工事現場で働き、少し仮眠をとって、夜はパン工場の夜勤をした時がありました。そうすることで、短期間で資金調達が達成できました。しかし、この仕事を1年も2年もするなんて、決してやりたいことではありませんでした。体力的に無理というよりも精神的に無理です。工事現場も夜勤も高給でした。しかし、全く興味のなかった仕事を資金調達のためだけにやっていたのですから。
空手や柔道が、食べることより寝ることより好きな人がいます。彼らは、空手や柔道の指導者になったり、指導者になるほどの実力者になれずとも、道場や協会の事務仕事で携わったり、取材する立場で携わったりしている人もいます。
私は、小学生の頃から地理と写真が大好きでした。その道の大家になるには、まだまだ修行が必要ですが、社会人になってから、地理と写真で生計を立てています。けして大きなお金が得られる業界ではありませんが、好きで得意なことなので、仕事と遊びの境目がありません。24時間いつも楽しい。寝ている間でも、夢でアイデアが浮かぶと、起きてメモを残すこともよくあります。
大学進学の時、高校の恩師たちは、私に地理学以外の学部に行くことを強く勧めました。就職の際、地理学では就職先が少ないという理由からです。恩師たちは、私の将来を考えて言ってくれているのは良く分かっていました。しかし、「4年後の就職のために経済学部?法学部?その時、社会がどうなっているか分からないのに?」という想いで、私は迷うことなく地理学に進みました。
地理学へ行っていなかったら、こうして地理で仕事をすることはなかったと思います。100%なかったでしょう。どんなに好きで得意なことでも、趣味でやっているだけでは仕事を依頼してくれるクライアントはいないからです。迷わず地理学へ進んで本当に良かったと思っています。
「全ての人にとって、人生は楽しむためにあるもの。」
「自分が好きで得意なこと」は、純粋に生きていれば誰でも例外なく見つかるはずですし、沢山ありすぎて迷ってしまうのではないかと思います。一人でも多くの人が「自分が好きで得意なこと」を見つけるアンテナの感度を敏感に保って、垢で鈍らせないように生きることを願っています。
写真:ワケワカメな新人社会人の頃、現地調査をしている私です。笑